最近の日本で語られる意味は”大衆迎合”を意味しているように見える。
ウィキではこんなことが書かれている。
ポピュリズム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
この意味するところをウィキから引用しましょう。
ポピュリズム(英: populism)とは、一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである
これが本来の意味だと思うのだがどうなのでしょう?
特に注目していただきたいのは以下の文章。
一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢。
要するに方法論のことであり、政治手法を指しているのはないですか?
方向性は国民ファーストなのではないでしょうか?
では
大衆迎合とは?
http://thesaurus.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E8%A1%86%E8%BF%8E%E5%90%88%E7%9A%84%E3%81%AA
ここでの記述を抜粋すると
”世間で広く受け入れられそうな意見にすり寄っているさま”
となっている。
この意味するところはあまりいい意味には感じないと思われますがいかがでしょう。
世間一般の皆さんが認識しているのは多分、ポピュリズム=大衆迎合だと考えていると思うのだが、いかがでしょうか?
上の2つのリンクを良く読んでいただくと同義ではないと思われます。
いつからこの誤解が始まったのでしょうか。
私の一認識が間違えていないなら、このポピュリズムと大衆迎合の翻訳が間違えているのではないか?
正しい日本語訳ではないのか、あるいは誰かこの言葉で国民をミスリードしたのではないのかと疑いを抱く。
さて、そもそも論になるのだが、現在の日本では国民主権が憲法に書かれています。
国民主権とはなんでしょうね。
ウィキにはこう書かれている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E6%A8%A9
国民主権(こくみんしゅけん、英: popular sovereignty、独: Volkssouveränität)は、主権は国民にある、という思想であり、つまり国民が政治権力の源(拠り所)・責任主体であり、政府は国民の意思により設立され運営される機関であるとする思想のこと。「主権在民」または「人民主権」ともいう。
もしこれが正しいならポピュリズムの何が悪いのでしょう。
私の思うところはこうです。
国民の知識レベル・意識レベルの高低でポピュリズムや民主主義が成功するか失敗するかが決まる。
民主主義の危うさはここで決まるのです。
その結果生まれるのが現在の”ダメ政治家”
政治家は皆さんの鏡と言えるのです。
民主主義の成否は皆さんの知識レベル・意識レベルの高低で決まるのではないですか?
日本人が本当に民主主義を堅持しようと思うのなら自らが学び自分の力で考え、ポピュリズムを活かしていく方法論を考える必要があると思う。
このあたりが日本人の弱いところです。
言い方は悪いですが、日本の民主主義は与えられたもので、自ら勝ち取ったものではない。
それが戦後民主主義の正体なのでしょう。
その結果、民主主義が当たり前だと考え、軽く考えてはいませんか?
それは世界史をみると、とんでもない間違いだと思えます。
苦難の道を乗り越え民主主義を勝ち取ってきた歴史をもつヨーロッパ諸国。
押し付けられた結果、なんとなく受け入れたエセ民主主義を持つ日本とは雲泥の差があります。
”和をもって尊しとなす”は日本人の美徳と思われています。
これは良い意味で捉えると確かに美徳です。
悪い意味で捉えると”ムラ社会”や”なあなあな関係”を許すことになるのです。
これが世界と論戦できない理由です。
私からの提案
歴史(教科書には書いてない)を調べると見えてくるものがあります。
歴史教育や常識をもっと疑いましょう。
政府の言う”有識者”を疑いましょう。
有識者=利権者=既得権者の構図があります。
”権威者”やマスコミに騙されないようにしましょう。
レトリック(巧みな表現をする技法)に騙されないようにしましょう。
人の言説に惑わされないようにもっと考えましょう。
空気を読まないで発言しましょう。
これが国民の地についた意見となることを期待します。
日本の行方は皆さんの肩にかかっているのです。